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銀座ヨシノヤの歴史は、明治40年(1907年)11月、矢代徳次郎が銀座尾張町二丁目(現銀座六丁目)に紳士・子供靴の専門店として吉野屋(後のヨシノヤ靴店)を創業したことから始まる。創業者の徳次郎は東京・京橋南伝馬町(明治屋あたり)にあった靴と鞄の唐物屋・トモエヤに入店し、その後一番番頭、総支配人として店の発展に大きく貢献した。

「日本の靴産業は軍靴に始まり、軍靴と共に発展したのである。明治の初期には日本で靴を買って履く層は、政府の役人、華族、富裕な商人など、ごく限られた一部の者で、帝国大学で靴を履くように決められたのは明治19年のことであった。欧化主義が横行した明治20年前後、このように新しく始まろうとする社会に軍靴関係なく、紳士靴・婦人靴をつくって栄えた。それがトモエヤである。」(※引用)

紳士・婦人靴では民需部門の最大手だったトモエヤは、日露戦争(1904-05年・明治37-38年)後の不況・大恐慌のあおりで明治40年倒産へと追い込まれたのだった。

「初代の店舗は間口二間の立売式店舗。しかし一般とは大きく違っていた。注文靴専門ではなかったのだ。注文靴も受けるのは受けたが、それは外注に出し、商品の主力は既成靴だった。さらに紳士靴だけではなく、当時としては珍しかった子供靴も扱った。」(※引用)

銀座ヨシノヤの創業当時は、一部の階級にしか履かれることのなかった靴が、日常生活の必需品として一般家庭にもぼつぼつ認められ始めたころだった。

銀座ヨシノヤは当時注文靴を中心に商売をしていた靴屋の中で、創業から既成靴を取り扱っており、お客さまの商品の好みを足にいかに合わせるかという、フィッティング技術の習得を図っていた。顧客の足の特徴を見抜き、一番フィットする木型・サイズの靴を提案する。現在銀座ヨシノヤで使っている足型タイプ別表示は歴史の中で販売してきたノウハウ数値化している。デザインと履き心地のよさという、相反するテーマで努力してきたのである。
銀座ヨシノヤは現在、全商品のうち95%以上を婦人靴の顧客が占める婦人靴の専門店だ。日本が洋装化へシフトしていくきっかけになった出来事は、日本橋にあった白木屋デパートの火事(1932年・昭和7年)である。当時の女性店員はほとんど着物だったため、地上の目を気にして飛び降りられずに逃げ遅れて焼け死んだりした。2代目矢代恒太郎社長は婦人の洋装化により、婦人靴の需要が将来激増することを見越し、昭和10年(1935年)銀座六丁目に新たに婦人子供靴部を新設したのだった。

※ 引用
「お客様と共に 銀座ヨシノヤ90年史」発行:株式会社銀座ヨシノヤ
「ウォークモア・ビー・ヘルシー」矢代裕三 発行:株式会社銀座ヨシノヤ