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明治維新後、急速に外国文化の影響を受け外国型鞄が作られる様になります。
日本にも昔から「かばん」と同じ用途に使用されたものは沢山ありました。
武士の鎧を入れる「鎧櫃(よろいひつ)」、医者の薬を入れる「薬籠(やくろう)」、床屋が道具を入れて持ち歩く為の提手のついた「台箱(だいばこ)」、その他庶民が旅に使う柳、竹、紙で出来た「振り分けの物入れ」等がその一例です。
また、袋物業者の兼業として作られ天保以前からあり、物入れとして庶民に親しまれていたのが「胴らん(どうらん)」です。
長崎奉行手付きとして1年程渡航した太田蜀山人が、文化2年に帰国したとき、みやげ物の大部分は樽に詰めて、その他は柳行李(やなぎごうり)や葛籠(つづら)を使っていたとあります。
明治初期、様々な外国文化が入って来た中の1つに「かばん」があります。
革具師として生計を立てていた職人が、政府高官・学者・芸術家等の人たちが当時外国から持ち帰ったものを、見よう見まねでこしらえたのが日本製「西洋かばん」の始まりと言えます。
明治4年頃の草紙のなかで「八の字の髭を生やした官員さんが手乱下げて大威張り」と言うのがあります。かばんと言う言葉は伝わっていたものの一部の階級の人で、需要は少なかったようです。
かばんは中国語の挟准「キャハン」の転化したものと言う人もいますが、元々かばんの語源はオランダ語のカバスではないかとも云われ確かではありません。支那を経て朝鮮に渡り、そして日本に来たとも言われています。
明治10年第一回内国勧業博覧会で谷澤禎三が出品した「かばん」が受賞し、その賞状には「提嚢(ていのう)」と記されていました。
そこで谷澤禎三は関係者と協議の上、これまで使われてきた「かばん」に対する名称の1つであった革包「かくほう」の文字を横に並べて「鞄」をカバンと読ませる事を提案したのです。
そして明治23年に当時の書家として有名だった巌谷一六に“鞄商廛(かばんしょうてん)”という文字の揮毫(きごう)を願って、この大看板を銀座一丁目の店頭に掲げたのです。
この時代に明治天皇が銀座をお通りになったおり、この看板がお目に止まられ、お付きの方に「何と読むか」とご下問がありましたが、誰一人読めるお付きの方がなく、谷澤禎三は侍従職から呼び出されご説明申し上げたと云うエピソードが言い伝えられています。
明治22年に「鞄」は国字として取り上げられたとされています。
明治中期〜後期にかけて現在使われている鞄の原型が数多く作られ流行しました。
日清・日露の戦時下には皮革代用の絨毯鞄が流行し、大正時代には皮革製袋物が始めて「ハンドバッグ」として売り出され、その他にレザークロス「擬革(ぎかく)」、ボストンバッグ(アメリカ ボストン大学が発祥)、スポーツバッグ等が出始めました。
昭和初期にファスナーの国産化に成功したYKKによるファスナーの大量生産により、鞄の基本型に大きな影響がありファスナー付き鞄の需要が高まってきました。
その後、日中戦争が勃発し、統制令で皮革使用制限規則によって皮革鞄は全面禁止となりますが、代用品としてエナメルレザー(ビニールではない)、防水布、アザラシ、サメ、ヘビ、蛙、鳥の足などが使われました。
絨毯鞄 ファスナー付き鞄
戦後の昭和26年にサンフランシスコ対日講和条約締結のために日本を訪れた米国国務長官ジョン・F・ダレスがタラップを降りたとき、左手に持っていた革の鞄、それこそが「ダレスバッグ」の原型です。
ここにもエピソードがあります。
国民の目は誰もがダレス国務長官その人に向いていましたが、谷澤禎三の息子甲七はそれまで日本になかった口金式の書類カバンに目が釘付けになったのです。
まったく前例のない同型の鞄を試行錯誤の末に完成させ、“ダレスバッグ”の名前で売り出しました。
色は主としてセピア色で、一部黒もありました。ややゆったりとしたブリーフケース型で、把手の下中程にストラップが付いているのが特徴であったことは言うまでもありません。
この“ダレスバッグ”に付けられたキャッチ・フレーズが「シンボル・オブ・ピース」。
たちまちにして人気商品となりました。
“ダレスバッグ”は鞄のなかの鞄なのです!!
ダレスバッグ シンボル オブ ピース

ナイロン素材などは本格的なバッグ職人でなくても工業製品として縫製技術さえあれば、手軽にバッグに出来るという特徴もあり、製造コストダウンも容易なことから、一挙に増産され、さらに単価ダウンに拍車がかかってしまった感があります。バッグ素材の主役は皮革からナイロン素材に取って代わられてしまったのです。 しかし、皮革製品の魅力が決して失われたわけではありません。
鞄・バッグメーカー各社が皮革バッグの再構築をスタートさせ、本来の皮革の味を前面に“素材提案型”を打ち出し、「品質に拘る」・「価格に拘る」・「個性に拘る」で成功させています。
確かに昔のように皮革バッグが主流になることはないかもしれませんが、しかしながら日本のバッグ業界は伝統や歴史という文化的財産や技術的財産を上手く生かし、独自の技術力を武器にして世界的な視点で成功していきたいと思っています。
最後に日本では横文字ブランドが氾濫しすぎています。
これからは盲目的でなく和名ブランドがもっと日本人に愛されるように努力していくことが大切だと思います。